2018年7月28日土曜日

7月28日(土)寒冷渦と線状降水帯



変則台風が日本列島に向かっています。台風は夏の高気圧の縁をぐるっと回って北上、西から東へと向かうのが通常のパターンでした。しかし、今回のはなんと北上後西へと向かう、今までに例のないタイプです。この日記を書いている時点ではまだ、八丈島付近を北北西に進んでいます。これから被災地である西日本に向かう予想ですが、困った気象状況が続きます。

今回の異常台風をもたらしているのは、寒冷渦という冷たい空気の渦が巻き起こす風の向きに影響され、引っ張られるのだそうです。先日来の西日本豪雨の線状降水帯に続く、厄介な気象用語がまた、生まれてしまいました。明日、明後日と最小限の被害に留まってほしいと願うものです。

 

2018年7月24日火曜日

7月24日(火)森林環境税

 
西日本を中心とした水害は未曽有の災害となりました。被災された皆様には心からお見舞い申し上げます。残念ながら命を落とされた皆様には深くお悔やみを申し上げます。亡くなった児童の最後の言葉「お母さん寒いよ」という記事を目にしました。悲しみに耐えません。この数年の気象状況は、本当に予想を超えた、人間の能力を遥かに超えてしまうものになってしまいました。

そして、ここ数日来の猛暑、風水害でなく気温で危険、警戒という気象庁でも危機状態であるという発表をしています。異常気象は私たち人間が作り出してしまったのでしょうか。とにかく水分をたっぷりとって健康管理に注意しましょう。

さて、先週、秩父市において全国森林環境税促進議員連盟の総会が開かれました。税金の二重取り、また、環境と言っても森林の復興に重点を持っていくのではないかとか様々なご意見も伺います。大使に取られる税金が一律なのに対し、譲与されるほうが、人口など数字で換算されますので、税金そのものが本来の森林環境にどれだけ寄与されるものなのかが、計り知れない所もあります。しかし、今回の災害を見ても森林の荒廃も一つの要因になっているようです。まさしく痛みを伴う施策ではありますが、私たち人間が作ってきた社会、生活環境をもう一度見直すいい機会かもしれません。

2018年7月14日土曜日

7月14日(土)青少年応援プロジェクト@奥多摩


 過疎化の町村にとって、地域づくりをどのように展開していくかということが、共通の課題です。奥多摩町では長年続いた町民運動会を今年度から廃止し、形を変えて地域づくりをしようという試みで開催されたのが、奥多摩スポーツフェスティバルでした。「誰もがスポーツ活動に参加するまちづくり」として、町民が一堂に会する町民体育祭に代わる事業を各団体の代表者と協力して検討を行った結果です。

今日の事業も昨年までは、少年少女スポーツ大会として開かれていたものを家庭、地域、学校が協働して児童生徒の成長を見守ってこうという内容でした。2020年のオリンピック・パラリンピックを控え、ラクロスのプロ選手を迎えてその体験談を披露、また、実践指導も交えて、有意義な催しとなりました。どんな競技でも世界に通用するには、並大抵の努力では成しえないことを参加した児童生徒の皆さんは感じたことでしょう。

さて、夕方からは、西多摩医師会の総会・記念講演会に参加しました。

演題は地域包括ケアシステムの構築について、大学教授であり、医学博士の講演です。市町村では、 団塊の世代が後期高齢者となる2025年に向けて、3年ごとの介護保険事業計画の策定・実施を通じて、地域の自主性や主体性に基づき、地域の特性に応じた地域包括ケアシステムを構築していきます。そんな背景に鑑み、市町村における地域包括システム構築のプロセス、地域包括ケアシステム構築モデル例、地域包括ケアシステム構築へ向けた取組事例、全国の自治体から収集した先駆的な事例などを紹介しながら持論を唱えました。肩書とは裏腹に、丁寧な講義内容と真摯な姿勢には好感が持てました。特に、私の住む奥多摩町の事例に近い内容は大変参考になりました。

2018年7月13日金曜日

7月12日(木)~13日(金)はじめの一歩


 
  先週の小笠原に引き続き、神津島に研修に行ってまいりました。実はこの前々日から二日間は岡山への視察が入っていました。ご承知の通り、未曽有の災害を受けましたので、訪問は遠慮しようということになりました。被災を受けられた皆様には謹んでお悔やみ、お見舞い申し上げます。
 
さて、昨年の10月の末に奥多摩町と提携協定を結んだ神津島村に12~13日と訪れました。現在の奥多摩町議会の構成になってから訪問していないことも有り、今回の訪問となりました。出発日はあいにく曇り空で、調布飛行場を飛び立つ際には、条件付きの飛行となりました。現地上空の視界が悪ければ調布に戻ることが前提というものです。火案を抱きながらの飛行でしたが、島に近づくにつれ、視界も良好となり、無事神津島に到着しました。
 



村役場では、定住化対策、水道事業の実情、教育現場での取り組みなどの説明を受け、熱心な質疑応答が続きました。その後島内巡りを致しました。万が一東海沖の地震が起こった場合は、海抜30mは避難が必要とのこと、島内の発電所は水没し、島が機能しなくなるのが一番の心配と村の議員さんが話されました。最後に島一番の観光名所、赤崎の海水浴場に連れて行ってもらいました。写真のように子どもたちが高さを競って飛び込むのだそうです。




今回の研修の中で、やはり一番共感したのは、図書館内の併設された島小屋(放課後子ども教室)です。学習の補填をする教育係が子どもたちと一緒に学習、そして遊んでくれています。奥多摩町でも、働く親御さんのための放課後の学童保育も行われていますが、さらなる放課後の充実も必要だと考えます。学童保育は福祉課の管轄ですが、今こそ教育委員会の管轄にして放課後の充実を図るべきと考えます。なにも塾のようにとは言いませんが、躾や人間教育も含めた指導が必要と思います。神津島では図書館の運営と子の放課後子ども教室は教育委員会の管理でした。

協定を結んだ町と村の交流、今回は議会での訪問となりましたが、今後は町村民の交流事業にしようと奥多摩町では8月と11月に神津島ツアーを企画しています。町民皆様の応募を期待しています。こうしてはじめの一歩が踏み出されました。

2018年7月8日日曜日

7月8日(日)朝市と地域づくり

 
 
 

 異常気象の中で、西日本、東海地方を中心に雨による被害が拡大しています。雲は西から東に流れるということではなく居座り型、いつまでも降り続く線状降水帯の影響で、未曽有の被害が続いています。私自身も10~11日と岡山、鳥取の視察が入っていましたが、状況を考慮し延期を致しました。

さて、地域の有志による「朝市」、第二回目が開かれました。今回は野菜だけでなく盆栽まで現れました。これも100円です。今回も朝9時からの販売開始だったのですが、会場になった小丹波のコミュニティーセンターには、9時には多くの地元民がレジ袋を提げていました。なによりも人が集まり、会話を交わし合うことが大事なのだと買い物風景を見てつくづく感じました。
 

午後からは、町の福祉課が主催する第二回のみんなで助け合う「地域づくり住民交流会」が開かれました。今回はグループで、課題を出し合いました。テーマは「奥多摩に必要な助け合い活動」は?模造紙にそれぞれ思うことを書き綴り、その課題解決には、「誰が」「どこに」「どのように」働きかければよいかを語り合いました。11のグループの中から3組が発表するという内容でした。なかなかすんなりと課題解決の答えは出てきませんが、こうして、町民がひざを交えて話し合える機会が出来たことが肝要ではないかと考えます。次回は99日です。

午前も午後もやはり若い世代の参加者が少ないのは残念ですが、企画が合えば若い皆さんも参加してくれるものと思っています。

2018年7月3日火曜日

6月28日(火)~7月3日(火)国境離島を巡る


日常の生活に浸っていると、全てのことが当たり前で、そこに若干の不平不満と充足感が行ったり来たりするものです。今回の研修はあらゆる意味で、人が生きていくうえでの日常を見直す機会となりました。


 小笠原諸島返還50周年記念事業に参列するため、6月28日竹芝客船ターミナルを出港しました。7月3日に帰港するまでの6日間、小笠原村の現地調査も併せて行いました。小笠原村は2011年、世界遺産に登録されました。まさしく世界遺産たる雄大な自然は、見るものすべてが鮮やかなものでした。海の色、空の青、山の緑、自然の造形美、そして、6日に一度だけの「おがさわら丸」の唯一の交通手段がその環境を守っているのかもしれません。しかし、島民の安全安心を確保するための医療・防災の面では、離島共通の不安要素は解消されていません。


その不安を解消するために、平成20年に小笠原航空協議会が設置されました。村は、世界遺産たる自然を守る役目と村民の不安を解消する役目とを両立させるために、今も設置に向け関係機関との折衝を繰り返しています。「だめならダメと言ってほしい、次の手段を考えるから」航空路誘致に尽力している皆様は、こう切々と訴えています。長年の懸案事項である航空路設置には、世界遺産である島の環境を守りながら、1000m以上の滑走路を確保しなければなりません。付帯設備を含めるとそれ以上の長さが必要とのことです。






小笠原諸島返還50周年記念式典には、小池東京都知事と共に石井国土交通大臣もが列席され、返還50周年の祝辞を述べました。都知事はこの問題に言及し、滑走路予定候補地と1000mクラスの滑走路の設置の方向性を述べていましたが、小笠原村の皆様には、もうひとつ強い決意が伝わらなかったようです。「私の目の黒いうちに」という言葉をよく聞きますが、村の担当者や長年誘致に尽力された皆様の切なる気持ちが伝わってまいりました。もう一方で、利便性だけではなく、この環境をいつまでも守るべきだという村民の意見もいくつか伺うことが出来ました。一度東京都内など内地に赴けば、6日間は戻れません。出産のときは2ヶ月前に内地に行くそうです。【それでも小笠原村は子どもが多く、若い世代の家庭が多いのが特徴です。65歳以上の高齢化率はたったの15%です。特に若い世代に対する施策は行っていませんが、こどもは毎年増え続け、学校も建て直す方向で動いています。保育園は保育士不足もあり4歳児からの入園です。3歳児以下を育てている母親は、仕事に就いておらず、それでも不満そうな雰囲気がなく、生活環境にも満足し、自宅で子育てを楽しんでいる様子でした。基本的な魅力が島にあるということなのでしょうか。】


話を戻します。出産も内地ですが、親の死に目に会えないこともしばしばあるようです。内地での治療、療養で島に帰れない状況での最期を迎えざるを得ないことが悩みの種です。


そんな事情を勘案して、村では有料老人ホームを診療所に併設、ベッドを12床用意し、内地から帰って看取りもできる状態で運営しています。一般的には、入所時等相当な費用を必要としますが、村では一般会計からその費用を捻出しています。高齢者への配慮が伺える政策です。


さて、自然豊かな小笠原諸島ですが、有名なアオウミガメの産卵場の見学もさせていただきました。その生態、一生はウナギやサケなどと同様、苦難の連続です。村では、ウミガメの保護を目的として、産卵場の整備を朝5時から行っています。その一方で、捕獲頭数に制限を設け、地元の郷土料理として飲食店、民宿等で刺身や煮込み料理として提供しています。試食いたしましたが、なぜか複雑な思いも致しました。不便ではあるが、子どもが増えつつある小笠原村の父島、母島、豊かな暮らしとは何か、住み続けたい町、住み続けたい村とは何か・・・不便ではあるがその幸福感の高さに驚かされました。





最終日父島を離れる「おがさわら丸」を見送るため、村の皆様が父島二見港に集まってくれました。船が港を離れてもいつまでも手を振ってくれている島民の皆様、小学生も堤防から飛び込んで海中から手を振ります。漁船やヨットも何十艘も「おがさわら丸」と並走した後はこれも海上へのダイビングで見送りです。私たちも船上から力の限り手を振ります。幸福感を持った島民皆様の「おもてなし」を充分に肌で感じ、竹芝港への船旅となりました。


この小笠原諸島以外にも国境離島が我が国には点在し、日本人としての誇りを胸に家族と領土を守っている。まだ終わっていない硫黄島の遺骨収集など課題も残っているとのことでした。


返還され50年、歴史を刻んだ小笠原村ですが、この小笠原諸島の返還に尽力したのは、衆議院議員を10期勤めた福田篤泰氏でした。



旧東京7区、その後の東京11区(中選挙区で町田市まで含む広い選挙区だった)三多摩を地盤として活躍し、郵政大臣も勤めた私たちの大先輩の政治家でした。米国との再三の交渉の末、返還にこぎつけたという経緯を今回初めて知りました。その胸像が父島二見港を見下ろす丘に建っていました。小笠原村議会議長の案内でその歴史を確認いたしました。この研修で、私は沢山の経験を積むことができました。このような機会を与えていただきました町民皆様はじめ町村議会事務局、奥多摩町、東京都に深く感謝致します。