2017年8月25日金曜日

8月25日(金)一時停止とは


交通安全協会の主催で、安全講習会が開かれました。今日は奥多摩文化会館が会場で小丹波地区住民が対象でしたが、奥多摩各地で毎年開催されています。安全協会の皆様には交通安全週間の見回りを含めて感謝を申し上げたいと思います。

 今日の講演の中で、一時停止についてのお話がありました。信号のない交差点での一時停止の表示に、なぜこんな手前にラインが引いてあるのかと思った方も多くいらっしゃると思います。私自身もその一人でした。停止表示を見る側だけでなく左折方向からの大型車などとのトラブル回避の意味もあるとの説明を受けました。一旦止まって右左からの動きをゆっくり確認してから進んでくださいと・・・そして交差点に入る前にもう一度停止して・・・これなら自ら事故を起こすことはないでしょう。

2017年8月20日日曜日

8月20日(日)飴玉1個で悩む


 首都東京都の最高峰雲取山、今年の西暦2017年と同じ、標高が2017メートルです。これにちなんだイベントが東京都や町で開催されていますが、今日も町の文化会館で記念講演が開催されました。山岳救助隊に従事した金氏、登山家の山野井氏お二人の話を聞きました。
金氏は「大きな山岳事故はベテランに多いことなどちょっとした油断が事故に結びつく、用意周到さが必要」と説かれました。 
山野井氏は装備を決める重要性について「飴玉一個で悩む」と食料の重さにも気を使うと説明されました。
登山はあらゆるスポーツの中でも奥の深さがある、それだけ危険と隣り合わせ、充分な備えが必要だと力説されました。
会場には町民はもとより、登山の恰好をした愛好家も多く、2階の視聴覚室に入りきれず、1階の集会室にもスクリーンを準備して対応するほどの盛況ぶりでした。

2017年8月11日金曜日

8月11日(祝)神津島から奥多摩へ


太平洋戦争末期の昭和20年伊豆神津島の村民が奥多摩への集団疎開に踏み切りました。戦況は悪化し、島が戦場化するのを恐れての決断だったとのことです。奥多摩町は神津島からの疎開者の大部分、112世帯567名を受け入れたとのことです。今回、奥多摩町第13回「平和のための戦争展」を開催するにあたり、実行委員会では現地を訪れ体験者の話を記録して奥多摩町の住民へ戦争の悲惨さを伝えることとなりました。会場の奥多摩町の文化会館には多くの住民と神津島の関係者が集いました。奥多摩町で疎開体験をした3名の方(事前に島に渡り取材したビデオ放映)と奥多摩町の戦争体験者3名のお話も聞くことができました。
 疎開の時期が7月であったこと終戦が8月であったことは、寂しい疎開生活を送った皆様には不幸中の幸いであったようです。これが厳しい冬を越すことになったらどうだったろうとビデオの中で語られました。また、東京の田舎といってもこんなに寂しい山の中とは思わなかったと皆さんお話しされました。
平成の世になってからもう29年も経っています。昭和生まれの私も戦争を知りません。こうして悲惨な戦争を語り継ぐ人たちも少なくなっています。資料では判りえない事実を伝えていくことの大切さを認識する機会となる会でした。

2017年8月5日土曜日

8月5日(土)教育に資する


今日、社会保障制度が先進国の必修条件であり、各福祉政策が一流国の旗印となっています。その中心は医療制度と教育でしょう。国民皆保険の制度は我が国の誇れる制度であると思いますが、教育はどうもお金がかかってしまうのがこれまでの日本です。
1967年、奥多摩町に昭和42年財団法人木村奨学会が発足しました。ここに至るまで幾多の困難を乗り越えて、先代が奨学会設立の意志を突き進めていったのです。「教育が基本である」という考えに基づいて、祖先から引き継いだ広大な山林をはじめ、財産を提供し、奥多摩の教育に資するようにと町に寄付の申し出をし、財団法人が設立されました。以来50年、奥多摩町の若者に、木村源兵衛氏の意志が引き継がれ今日に至っています。奨学金事業はもとより、毎年作文コンクールを実施し、町の小中学生の教育活動を支えています。今年の作文テーマは「私の思い出」でこの夏休みに取り組んでいるそうです。
今日はその木村奨学会の50周年記念式典が開かれました。会場には町の教育関係者、これまで奨学会を支えてきた皆様、50名余りが参集しました。先人の偉業を称え、その歴史を振り返りながら教育の大切さを感じた会となりました。祝賀会の席には学生の面倒を長年見てくださった寮母さんも同席され、表彰を受けられました。