太平洋戦争末期の昭和20年伊豆神津島の村民が奥多摩への集団疎開に踏み切りました。戦況は悪化し、島が戦場化するのを恐れての決断だったとのことです。健康な男子を除く老人、婦女子を奥多摩町は神津島からの疎開者の大部分である112世帯567名を受け入れたとのことです。疎開の時期が7月であったこと終戦が8月であったことは、寂しい疎開生活を送った皆様には不幸中の幸いであったようです。これが厳しい冬を越すことになったらどうだったろうと疎開の資料集に語られていました。また、東京の田舎といってもこんなに寂しい山の中とは思わなかったとも記載されていました。
さて、今日は奥多摩町のふれあい祭りが雨の中、昨日から開催されています。毎年神津島からもこのふれあい祭りにお越しいただき、特産物の販売コーナーを受け持っていただいています。私も名産の塩辛や「盛若」という焼酎を買いました。そして今日は奥多摩町と神津島友好交流協定締結式
両町村のこれからの友好交流を促進するための友好交流協定締結式が締結されました。今後の観光事業を中心とした交流が進展することを期待しています。11月末には奥多摩町が神津島を訪れる予定です。以下、本日の協定書の内容を掲載します。
奥多摩町・神津島村友好交流協定書
奥多摩町と神津島村は、これまでの友好を礎とした交流を通じて、相互の特徴的な自然環境や文化への理解促進ならびに友情と信頼の絆をさらに深め、ともに発展することを念願し、友好交流協定を締結する。