太平洋戦争末期の昭和20年伊豆神津島の村民が奥多摩への集団疎開に踏み切りました。戦況は悪化し、島が戦場化するのを恐れての決断だったとのことです。奥多摩町は神津島からの疎開者の大部分、112世帯567名を受け入れたとのことです。今回、奥多摩町第13回「平和のための戦争展」を開催するにあたり、実行委員会では現地を訪れ体験者の話を記録して奥多摩町の住民へ戦争の悲惨さを伝えることとなりました。会場の奥多摩町の文化会館には多くの住民と神津島の関係者が集いました。奥多摩町で疎開体験をした3名の方(事前に島に渡り取材したビデオ放映)と奥多摩町の戦争体験者3名のお話も聞くことができました。
疎開の時期が7月であったこと終戦が8月であったことは、寂しい疎開生活を送った皆様には不幸中の幸いであったようです。これが厳しい冬を越すことになったらどうだったろうとビデオの中で語られました。また、東京の田舎といってもこんなに寂しい山の中とは思わなかったと皆さんお話しされました。
平成の世になってからもう29年も経っています。昭和生まれの私も戦争を知りません。こうして悲惨な戦争を語り継ぐ人たちも少なくなっています。資料では判りえない事実を伝えていくことの大切さを認識する機会となる会でした。
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